アンリガトウ代表
リデザイン&ブライダルジュエリーディレクター
田中オリエ (Orie Tanaka)
目次
500字プロフィール
ジュエリー業界20年のキャリアを持つ
1点物も量産も得意なジュエリーディレクター
1974年生長崎出身
パーツ・チェーンメーカーでネックレスのデザインを担当。オーダーメイドジュエリー店へ転職し、接客技術をマスターするが、画力をあげ
コンテスト授賞が
ティアラのデザインが月9ドラマで長澤まさみさんに
売上No1の商品をデザイン
オーダーメイド専門店の立ち上げ時はスタッフ教育やディレクションを担当
2015年「アンリガトウ」代表として独立。
ジュエリー業界20年の経験から生み出すお二人らしさを追求できる
ブライダルジュエリーフルオーダー、使っていないジュエリーを
その方らしいデザインで蘇らせるリフォームジュエリーで高い評価を得ている。
現在はライフスタイルジュエリーデザイナーとして活動中
趣味・好きなこと
スポーツ系
水泳(その年の長崎県9位 200Mバタフライで九州大会出場経験あり)高校時代はベビーから中学3年生まで教える水泳インストラクターのアルバイトをしていました。
マラソン(2009年東京マラソン出場経験あり。6時間1分23秒で完走)
FIGHT DOというラジカルフィットネスプログラムが好き。
(ざっくり言うと格闘技系エアロビクスです)
父が山岳会に入っていたこともあり小さい頃から山登りが好きです。
インドア系
読書(赤毛のアンはアンリガトウのアンに使ったくらい好きです)
オートクチュール刺繍・ジュエリー加工・天然石・ジュエリーデザインが好きです。
好きな画家はフェルメール。私の人生を変えた画家です。
好きな音楽アーティストは平井堅・槇原敬之。
住んだことのある場所
長崎県長崎市田手原町(実家が長崎で年に1度は帰省します)
長崎県長崎市竹の久保町(父の実家で2週間くらい住みました)
千葉県千葉市登戸(夫の実家があります。出産後に2週間くらいお世話になりました)
山梨県甲府市天神町(山梨県立宝石美術専門学校に3年通いました)
東京都江戸川区小岩(上京して初めて住んだのが小岩でした)
東京都品川区小山(武蔵小山駅近くで独身の頃から5回引っ越ししました)
履歴書
高校卒業まで
1974年2月3日長崎市生まれ。水瓶座で血液型はB型。
小学校2年から水泳を始める。
中学で水泳部に入り、バタフライの選手に。高校受験は推薦でその年に開設された
情報処理科のある長崎県立南商業高等学校へ入学し、生徒会長も務める。
公務員を目指し試験を受けるが落ちる。卒業した春休みに公務員試験勉強を担当していた先生から特殊法人への入所を勧められ、「公務員試験に落ちたら一般の会社に務めるんだろうから、今年入っても一緒か」と納得し入社試験を受けると公務員試験と同じ形式の問題だったので1番の成績で入所。
長崎県社会保険診療報酬支払基金入所
入所して1年経った頃に
「これじゃない」感が高まる。自分が一生やっていきたい仕事はなんなのか考え始める。
その頃読んだ本に「その人が一生やっていく仕事は20歳までにやったことの中にある」という
言葉を見つけ、(当時19歳)おそらく著者は「だから振り返りなさい」ということを言いたかったのだと思うのだが、なにを思ったか様々な習い事を始める。
月曜:英会話
火曜:茶道
水曜:絵画
木曜:洋裁
金曜:絵画
土曜:着付け→茶道→習字
日曜:オフ
20歳になったのをきっかけに英会話と絵画、茶道に絞る。絵画学校で「ジュエリーデザイナー」を目指しているという女性に偶然出会いジュエリーデザイナーという職業を知る。
雑誌で、真珠やK18をつかった「うさぎの後ろ姿」をモチーフにしたジュエリーを見つけ
「本物の素材でこんなアクセサリーみたいなデザインができるんだ!これをやりたい!」
と思い、山梨県立宝石美術専門学校へ入学を決める。
安定した職業(その頃)だったので親に反対されるのを見越し、2年分の学費と生活費を1年かけて貯めてから親に受験することを報告。
父に「才能は枯れるぞ」と言われるが「毎日いろんなことに出会い成長するのだから才能が枯れる事はない。「才能が枯れた」っていう人は「やりたくなくなっただけ」と反論。
父も納得し、応援してくれるように。
山梨県立宝石美術専門学校 宝飾デザイン研究科
甲府へ移住。奨学金が取れたので研究科まで進み、「物語をモチーフにしたジュエリー」をテーマに研究。ストーリーのあるジュエリーデザインを始める。
就職活動で東京の有名なジュエリーブランドを受けるが全滅。
たまたまみたアルバイト雑誌に「ジュエリーデザイナー経験者募集」の掲載を見つけ、「新卒ですが面接してもらえませんか?」と交渉。面接してもらえる事に。
面接日に遅刻し、これは落ちたな、と開き直って、
休み時間に面接に来ていたデザイナーに自分のポートフォリオを見せてアドバイスをもらっているのを評価され入社が決まる
チェーンメーカー(1社目)
デザイナーとして名刺をもらい入社するが、事務との兼業。
それでも会社の代表となるデザインを担当させてもらうが、
チェーンメーカーだったのでリングのデザインができない。
これからはオーダーメイドの時代がくる!と思い
オーダーメイド専門店へ転職。
オーダーメイド専門店 (2社目)
面接でリングデザインの経験が少ない事からこのままデザイナーとしての採用は難しい。
でもポートフォリオをまとめるのがうまいから、会社の社内マニュアルをまとめる社長秘書と兼業でどうだろうか?と打診され承諾。
社内マニュアルを3ヶ月でまとめつつ、面接や社内研修、スタッフ教育、店頭でアドバイザー兼デザイナーとして勤務し新店オープニングスタッフも務めるが、幹部の仕事に専念させたかった上司から「お前くらいのデザイナーなんていくらでもいる。でも、販売や社内をまとめる力はある」とパワハラを受ける。
「私はデザイナーになるんだ、向いてないっていうこの人の方がおかしい」と退職を決める。
でもまだ思うようには描けないのが事実だし、転職先で同じ事が起きたらまた辞めるのか?
それはいやだ。ともう一度線の引き方から学びなおすためにアテナ宝石デザイン研究所で学びなおす。
アテナ宝石デザイン研究所
通常3年はかかるプログラムを、1年半で卒業。
コンテストの強みを生かし、応募したコンテストにほぼ入賞。
コンテスト受賞をきっかけに業界No1ダイヤモンド専門店に入社が決まる
ダイヤモンド専門店(3社目)
コンテストで入選していたのに「社内コンペ」で通らない日々。
1年たってやっと採用になったティアラのデザインが
月9の「プロポーズ大作戦」で長澤まさみさんに着用される。
その後「好まれるデザイン」のコツがわかり、
3ブランド同時に売上No1の商品をデザインし社長賞も2度受賞する。
ジュエリークリエイティブディレクターとしてブランド構築も担当し
新ブランド立ち上げの際はデザイナー・販売スタッフ教育も担当。
2012年(38)結婚。
2015年(40)出産。
育休復帰時に「他のスタッフを入れてしまったのでデザイナーとしては戻れない」といわれ
アンリガトウを立ち上げて兼業することに。時短で週5勤務し、寝かしつけが終わってからアンリガトウの活動を深夜に行う日々を1年続ける。
このままだと体を壊すし、ずっとは続けられない、と退職を決意。
2016年4月末 退職
魔法にかかるジュエリー アンリガトウ
2016年5月よりアンリガトウとして独立。
ありがとうを形にして贈りあえるジュエリーブランドとして
幸せを形にするブライダルジュエリー、幸せを引き継ぐリデザインジュエリーや
少量から量産できる製品開発ディレクション、天然石を使った加工技法のフレームセッティング等のサービスを提供中