田中オリエプロフィール

「ありがとうのカタチをしたジュエリー」
アンリガトウ主宰デザイナー
田中オリエ (Orie Tanaka)

ジュエリーデザイナー歴24年の経験と実績

1974年長崎市生まれ、東京武蔵小山在住。
県立長崎南商業高校情報処理科、
山梨県立宝石美術専門学校デザイン研究科卒業後
1998年、株式会社ムラオに就職デザイナーとして
ネックレスをメインにデザイン。
オーダーメイドやリングのデザインに
興味を持ったことをきっかけに退職後、

2000年から株式会社ケイウノに
社長秘書兼販売兼デザイナーとして勤務。
社内マニュアル作成、販売、デザイン接客を担当。

画力を上げる必要を感じ
2001年からアテナ宝石研究所へ入学。
応募したデザインコンテストにほぼ全て入賞。
コンテスト受賞をきっかけに2003年
株式会社シーマ(現ニューアートシーマ)に入社

月9プロポーズ大作戦長澤まさみさん
着用ティアラデザイン、2009年から
新ブランドでのデザイナー育成担当も行い
「銀座ダイヤモンドシライシ」
「エクセルコダイヤモンド」
「ホワイトベル」担当3ブランド同時に
売上No1商品開発の実績がある。
2015年アンリガトウとして独立。

2018年出展した「プラグイン」
来場者人気投票3位、

開発した商品が読売新聞、東京FM、
日経MJ、繊研新聞、ブライダル産業新聞、
時計美術宝飾新聞等に掲載

現在はオーダーメイド・リフォーム・
オリジナル商品開発、デザイナー育成に
特化したアンリガトウジュエリー学園長として
後進育成に取り組んでいる

 

目次

趣味・好きなこと

スポーツ系

水泳(その年の長崎県9位 200Mバタフライで九州大会出場経験あり)高校時代はベビーから中学3年生まで教える水泳インストラクターのアルバイトをしていました。

マラソン(2009年東京マラソン出場経験あり。6時間1分23秒で完走)

FIGHT DOというラジカルフィットネスプログラムが好き。(ざっくり言うと格闘技系エアロビクスです)父が山岳会に入っていたこともあり小さい頃から山登りが好きです。

インドア系

読書(赤毛のアンはアンリガトウのアンに使ったくらい好きです)
オートクチュール刺繍・ジュエリー加工・天然石・ジュエリーデザインが好きです。

好きな画家はフェルメール。私の人生を変えた画家です。
好きな音楽アーティストはオフィシャル髭男dism
推しは東京リベンジャーズのたけみっち。

住んだことのある場所

長崎県長崎市田手原町(実家が長崎で年に1度は帰省します)
長崎県長崎市竹の久保町(父の実家で2週間くらい住みました)
千葉県千葉市登戸(夫の実家があります。出産後に2週間くらいお世話になりました)
山梨県甲府市天神町(山梨県立宝石美術専門学校に3年通いました)
東京都江戸川区小岩(上京して初めて住んだのが小岩でした)
東京都品川区小山(武蔵小山駅近くで独身の頃から5回引っ越ししました)

 

履歴書

高校卒業まで

1974年2月3日長崎市生まれ。水瓶座で血液型はB型。

小学校2年から水泳を始める。中学で水泳部に入り、バタフライの選手に。高校受験は推薦でその年に開設された情報処理科のある長崎県立南商業高等学校へ入学し、生徒会長も務める。

公務員を目指し試験を受けるが落ちる。卒業した春休みに公務員試験勉強を担当していた先生から特殊法人への入所を勧められ、「公務員試験に落ちたら一般の会社に務めるんだろうから、今年入っても一緒か」と納得し入社試験を受けると公務員試験と同じ形式の問題だったので1番の成績で入所。

1993年長崎県社会保険診療報酬支払基金入所

入所して1年経った頃に「これじゃない」感が高まる。自分が一生やっていきたい仕事はなんなのか考え始める。その頃読んだ本に「その人が一生やっていく仕事は20歳までにやったことの中にある」という言葉を見つけ、(当時18歳)おそらく著者は「だから振り返りなさい」ということを言いたかったのだと思うのだが、なにを思ったか様々な習い事を始める。

月曜:英会話
火曜:茶道
水曜:絵画
木曜:洋裁
金曜:絵画
土曜:着付け→茶道→習字
日曜:オフ

19歳になったのをきっかけに英会話と絵画、茶道に絞る。絵画学校で「ジュエリーデザイナー」を目指しているという女性に偶然出会いジュエリーデザイナーという職業を知る。

雑誌で、真珠やK18をつかった「うさぎの後ろ姿」をモチーフにしたジュエリーを見つけ「本物の素材でこんなアクセサリーみたいなデザインができるんだ!これをやりたい!」と思い、山梨県立宝石美術専門学校へ入学を決める。

安定した職業(その頃)だったので親に反対されるのを見越し、2年分の学費と生活費を1年かけて貯めてから親に受験することを報告。父に「才能は枯れるぞ」と言われるが「毎日いろんなことに出会い成長するのだから才能が枯れる事はない。「才能が枯れた」っていう人は「やりたくなくなっただけ」と反論。父も納得し、応援してくれるように。

1995年 山梨県立宝石美術専門学校 宝飾デザイン研究科

甲府へ移住。奨学金が取れたので研究科まで進み、「物語をモチーフにしたジュエリー」をテーマに研究。ストーリーのあるジュエリーデザインを始める。

就職活動で東京の有名なジュエリーブランドを受けるが全滅。たまたまみたアルバイト雑誌に「ジュエリーデザイナー経験者募集」の掲載を見つけ、「新卒ですが面接してもらえませんか?」と交渉。面接してもらえる事に。

面接日に遅刻し、これは落ちたな、と開き直って、
休み時間に面接に来ていたデザイナーに自分のポートフォリオを見せてアドバイスをもらっているのを評価され入社が決まる

1998年 チェーンメーカー(1社目)

デザイナーとして名刺をもらい入社するが、事務との兼業。それでも会社の代表となるデザインを担当させてもらうが、チェーンメーカーだったのでリングのデザインができない。これからはオーダーメイドの時代がくる!と思いオーダーメイド専門店へ転職。

2000年 オーダーメイド専門店 (2社目)

面接でリングデザインの経験が少ない事からこのままデザイナーとしての採用は難しい。でもポートフォリオをまとめるのがうまいから、会社の社内マニュアルをまとめる社長秘書と兼業でどうだろうか?と打診され承諾。

社内マニュアルを3ヶ月でまとめつつ、面接や社内研修、スタッフ教育、店頭でアドバイザー兼デザイナーとして勤務し新店オープニングスタッフも務めるが、幹部の仕事に専念させたかった上司から「お前くらいのデザイナーなんていくらでもいる。でも、販売や社内をまとめる力はある」とパワハラを受ける。
「私はデザイナーになるんだ、向いてないっていうこの人の方がおかしい」と退職を決める。

でもまだ思うようには描けないのが事実だし、転職先で同じ事が起きたらまた辞めるのか?それはいやだ。ともう一度線の引き方から学びなおすためにアテナ宝石デザイン研究所で学びなおす。

2001年 アテナ宝石デザイン研究所

通常3年はかかるプログラムを、1年半で卒業。コンテストの強みを生かし、応募したコンテストにほぼ入賞。コンテスト受賞をきっかけに業界No1ダイヤモンド専門店に入社が決まる

2003年 ダイヤモンド専門店(3社目)

コンテストで入選していたのに「社内コンペ」で通らない日々。1年たってやっと採用になったティアラのデザインが月9の「プロポーズ大作戦」で長澤まさみさんに着用される。

その後「好まれるデザイン」のコツがわかり、3ブランド同時に売上No1の商品をデザインし社長賞も2度受賞する。ジュエリークリエイティブディレクターとしてブランド構築も担当し新ブランド立ち上げの際はデザイナー・販売スタッフ教育も担当。

2012年(38)結婚。
2015年(40)出産。

育休復帰時に「他のスタッフを入れてしまったのでデザイナーとしては戻れない」といわれアンリガトウを立ち上げて兼業することに。時短で週5勤務し、寝かしつけが終わってからアンリガトウの活動を深夜に行う日々を1年続ける。このままだと体を壊すし、ずっとは続けられない、と退職を決意。

2016年4月末 退職

アンリガトウ

2016年5月よりアンリガトウとして独立。

ありがとうと物語を形にするジュエリーブランドとして幸せを形にするブライダルジュエリー、幸せを引き継ぐリデザインジュエリーや少量から量産できるOEM/ODM製品開発、天然石を使った加工技法のフレームセッティング協会設立、ジュエリーデザイナー育成を目的としたアンリガトウジュエリー学園等のサービスを提供中