田中オリエプロフィール

アンリガトウ デザイナー
田中オリエ (Orie Tanaka)

1974年長崎市生まれ、東京武蔵小山在住。

1998年 山梨県立宝石美術専門学校デザイン研究科卒業
株式会社ムラオ入社。チェーン使用商品企画生産管理を担当。

2000年 株式会社ケイウノ入社。社長秘書兼販売兼デザイナーを担当。
その後アテナ宝石研究所へ入学。
2003年 コンテスト受賞をきっかけに株式会社シーマに入社
月9プロポーズ大作戦で長澤まさみさん着用ティアラデザイン、
「銀座ダイヤモンドシライシ」「エクセルコダイヤモンド」を担当。

2015年 アンリガトウとして独立
2022年 書籍「誕生石&カラーストーンジュエリー」(インクインコーポレーション著)掲載
2024年現在、「生活の中にある、一人一人の物語に、優しく光を当てるようなジュエリー」
をブランドコンセプトとして関東近郊の百貨店等でのPOPUP出店、展示会への参加を行っている

anne-ligatou:ブランド名には「ありがとう」の感謝の意味が込められています。

SIDs:職人の制作環境に配慮を持った製造を行い
修理やリサイクルが可能な素材を使用し、
使わなくなったリングの
イヤーカフリフォームサービスといった
環境にやさしいサービスも提供しています。

Custom Design:リフォームやオーダーメイドでのフルカスタム、
アレンジで作れるセミカスタムサービスを提供しています。

メディア実績 読売新聞、東京FM、日経MJ、繊研新聞、ブライダル産業新聞、時計美術宝飾新聞等

目次

趣味・好きなこと

スポーツ系

・水泳(長崎県9位 200Mバタフライ九州大会出場)
水泳インストラクター経験あり
・マラソン(2009年東京マラソン 6時間1分23秒で完走)
・ヨガ

インドア系

・読書(赤毛のアンはアンリガトウのアン(anne)から取っています)
・オートクチュール刺繍
・美術館巡り

好きな画家はフェルメール。
推しは東京リベンジャーズのたけみっち。

住んだことのある場所

長崎県長崎市田手原町(実家が長崎で年に1度は帰省します)
長崎県長崎市竹の久保町(父の実家で2週間くらい住みました)
千葉県千葉市登戸(夫の実家があります。出産後に2週間くらいお世話になりました)
山梨県甲府市天神町(山梨県立宝石美術専門学校に3年通いました)
東京都江戸川区小岩(上京して初めて住んだのが小岩でした)
東京都品川区小山(武蔵小山駅近くで独身の頃から5回引っ越ししました)

独立までの経歴

1974年2月3日長崎市生まれ。水瓶座B型。

小学校2年から水泳を始める。中学で水泳部に入り、バタフライの選手に。
長崎県立南商業高等学校へ入学し、生徒会長も務める。

公務員を目指し試験を受けるが落ちる。公務員専門学校に行くはずが
特殊法人の求人を案内され入社試験を受ける。
入所試験が公務員試験と同じ形式の問題で1番の成績で入所。

1993年長崎県社会保険診療報酬支払基金入所

入所して1年経った頃に自分が一生やっていきたい仕事はなんなのか考え始める。
その頃読んだ本に「その人が一生やっていく仕事は20歳までにやったことの中にある」
という言葉を見つけ、20歳までに経験を積もうと様々な習い事を始める。

英会話、茶道、洋裁、着付け、習字etc..

職場でもらったカレンダーにフェルメールの「紳士とワインを飲む女」があり
油絵に興味を持ち通った絵画学校で「ジュエリーデザイナー」を目指しているという
女性に偶然出会いジュエリーデザイナーという職業を知る。

山梨県立宝石美術専門学校を調べあてたが、親に反対されるのを見越し、
2年分の学費と生活費を貯めてから親に報告。
「才能は枯れるぞ」と反対されるが
「毎日いろんなことに出会い成長するのだから才能が枯れる事はない
『才能が枯れた』っていう人はやりたくなくなっただけ」と説得した。

1995年 山梨県立宝石美術専門学校 宝飾デザイン研究科

甲府へ移住。研究科で「物語をモチーフにしたジュエリー」
をテーマに研究発表をおこんあう。

就職では東京のジュエリーブランドを受けるが全滅。
アルバイト雑誌に「ジュエリーデザイナー中途(経験者)募集」
の掲載を見つけ、「新卒ですが面接してください」と交渉し
面接してもらえる事になったが当日遅刻してしまう。
開き直って、面接に来ていたデザイナーに
自分のポートフォリオを見せてアドバイスを
もらっているのを評価され入社が決まる

1998年 株式会社ムラオ(1社目)

デザイナーとして入社し商品管理も担当。
会社の代表となるデザインを担当させてもらうが、
チェーンメーカーだったのでリングのデザインを
する機会が少なかったため、
量産でなく少量生産のオーダーメイド、
リングの経験を積めそうな会社ケイウノへ転職。

2000年 株式会社ケイウノ (2社目)

リングデザインの経験が少ない事から
このままデザイナーとしての採用は難しい。
でもポートフォリオをまとめるのがうまいから、
会社の社内マニュアルをまとめる社長秘書と
兼業でどうだろうか?と打診され承諾。

社内マニュアルをまとめつつ、面接や社内研修、
スタッフ教育、店頭でアドバイザー兼デザイナーとして勤務し
新店オープニングスタッフも務める。

当時の上司から
「お前くらいのデザイナーなんていくらでもいる。
でも、販売や社内をまとめる力はある」とパワハラを受けるが
「私はデザイナーになるためにこれまで色々やってきてる、
向いてないっていうこの人の方がおかしい」と退職を決める。

でも思うようには描けていないのは事実だし、
転職先で同じ事が起きたらまた辞めるのか?それはいやだ。と
もう一度線の引き方から学びなおすために
アテナ宝石デザイン研究所へ再入学を決める。

2001年 アテナ宝石デザイン研究所

通常3年のプログラムを、1年半で卒業。
コンテストの強みを生かし、応募したコンテストにほぼ入賞。
コンテスト受賞をきっかけに業界No1ダイヤモンド専門店に入社が決まる

2003年 株式会社シーマ(現ニューアートシーマ)(3社目)

コンテストでは多数入選できていたのに社内コンぺで通らない日々。
ようやく採用になったティアラが
月9の「プロポーズ大作戦」で長澤まさみさんに着用される。
「絵にするだけでなく使ってもらえることの喜び」を実感し
3ブランド同時に売上No1の商品をデザインし社長賞も2度受賞。
ジュエリークリエイティブディレクターとしてブランド構築も担当し
新ブランド立ち上げの際はデザイナー・販売スタッフ教育も担当。

2012年(38)結婚
2015年(40)出産
2016年4月退職

アンリガトウ

2016年5月からアンリガトウとして独立。

生活の中にある、一人一人の物語に、
優しく光を当てるようなジュエリー
をブランドコンセプトに活動している